私が指圧師になるまでの経緯

日常雑感ブログ

昭和から平成へと代わろうとし、時代はバブルの最盛期。
空前の超売り手市場といわれた、今からでは想像もつかない就職状況を反映して、ゴールデンウィーク前には友人のほとんどが内定をもらっていました。
企業は学生の確保に躍起となり、内定式の豪華さを競い合うような、今から思えばやはり異常な時代。

 

そのまま時流に乗って就職することに何か後ろめたいような、割り切れないものを感じながら、自分の一生を費やす「職業」について、本当にやりたいことはなんだろうかと、「ぼおーっ」と悩んでいた日々。

 

そもそも、大学生の時間の大半を山登りに割いて、日常のトレーニングや山行準備に明け暮れて、就職のことなど具体的に考えもせず、気がつけば4回生だったという始末。

 

そこからは、「イバラノミチ」・・・・
文系から理系への転換。
ほとんど独学で、我ながらよく勉強しました。

 

周りもするから当然のように勉強させられていた高校生のころと違い、すべて自分の責任でいわば人生の後戻りをするわけですから、弱音は吐けません。
しかし、現実は厳しく3回受験して失敗。
いつまでも、だらだらと失敗を続けるわけにもいかず断念。

 

しかしその挫折が、かえって医療への思いを強めたのも事実。
そんな折、この「手技指圧」との出会いがあったわけで、それはもうショックに近いできごと。
器具も薬も何も使わずに、症状が変化していく様子、患者さんの顔色が良くなってゆき、帰られるときに笑顔で満足げに帰っていかれる。
病院、特に大きな病院ではなかなか見られない光景に

 

「いったいこれは何なんだあ~!」
診療内容も、整形外科はもちろん、内科・婦人科・眼科・耳鼻咽喉科・皮膚科・小児科・神経科、はては精神科的なカウンセリングまで。
即座に出た言葉は、「弟子にしてください。」

 

taniそこからは、「イバラノミチ・パワーアップアゲイン」・・・

 

自分の身体を道具として使うには、それなりの修行・鍛錬が必要で、
加えて解剖・生理・病理といった知識を実践で、臨床で使えるものにしなければ意味がありません。
時には、冷や汗をかき、悔し涙を流し、鼻水もたらしながら11年間。

 

最初のころは、ありがたくも患者さんに実験台になっていただき、教えてもらい、よく失敗もしながらこれまでに、およそ2万人のお体を治療させていただき、ようやく患者さんから「先生」と呼んでもらえるようになった状態。

 

人の身体はパーツの集合体ではない、と本当に思います。

 

例えば腰痛の患者さんを治療するのに、腰を診ていくのは当然ながら、その痛みを起こした原因がどこにあるのかを、常に探っていく気持ちがなければ、そのときは症状が軽くなっても、時間がたてば再発することもあります。

 

部分も診る、しかし全体を、総合を診ることを忘れてはならない。
このことを実感し続けた十年間でした。
修行はまだまだ続きます。
今思うことは、あの時もし医学部に合格していれば、今のこの実感は感じられなかったかもしれない。
自分の努力が報われなかった経験がたくさんありましたが、それらがやはり今の自分をかたち作っているのかもしれません。